親は必読!『子どもの算数、なんでそうなる?』を読んだ感想・レビュー
子供の算数の間違いに、「何でこんなこともわからないの?」と言ってしまったり、言わないにせよ心の中で思ってしまったこと、誰にでもあると思います。
この言葉に続いて、
で強引に終わらせてしまったことがある親御さんもいると思います。
『子どもの算数、なんでそうなる?』は子供の誤りを不正解だと片付けて、
誤りにいたるまでの思考を「置き去り」にしてしまうことに、静かな警笛を鳴らしています。
わたし自身、読み始め直後から、読み終わるまで反省の連続でした。
すばらしい本でした。子供の算数の誤りに寛容になれますし、誤りが楽しみにさえなりました。
『子どもの算数、なんでそうなる?』を読んだ感想
この本を読みはじめてすぐ、ちょっとどころか、結構後悔しました。
私は知らず知らずのうちに、子供の算数における「誤り」を正すことに意識を集中し、
実際は、子供なりに正しい理解に向かって船を進めているところに、波を起こしていたのではないか?と思ったのです。
著者の谷口さんは「誤りは宝物」と書かれています。
最後まで読んで、本当にその通りだと思いました。
この本の要点をまとめると、
子供の(算数における)誤りには子供なりのちゃんとした理由がある
子供が間違えたときに、正解を教えるよりも、正解にたどり着くまで思考が整うのを待ってあげる「見守る力・待つ力」が必要になる
大人にとって誤りであっても、子供の中では一貫性のある認識である場合がある
子供が誤りをしたとき、理解に問題があるのではなく、正しい認識に至るまでの途中経過にあるにすぎない
子供が誤ったときに正すのが良いとは限らず、考えを深めるきっかけを作ってあげたり、理解が進むのを待つことが大切で、
一時的に間違っていても急いで正したりしない、ということです。
大人からすれば子供の認識が誤っているように見えても、子供の理解に欠陥があるのではなく、より正確な認識にいたるための、過渡的な理解の状態だとされています。
過渡的な理解こそが、正確な理解の「土台」となるものであり、誤った子供を無理に納得させるのではなく、過渡的な理解の状態を尊重する大切さが書かれています。
これが「誤りを見守る」ということになります。
谷口さんが日ごろから子供にそのように接していることは、本を通じてよくわかりました。
読んでいて、自分を反省しつつ、とても温かな親子の会話をながめているような感覚が終始ありました。
谷口さんは、算数に関する子供との対話で、子供が間違えたときに、
とお子さんの目線に合わせて、子供がどう考えたのか寄り添う姿勢を貫いています。
私からすると、「それはね、こういうことだよ」と正してしまいそうなことでも、
子供の考えの筋道を思いめぐらしながら、時には間違っていても「正解」としています。
この本を読んでから、息子との算数の会話をしたときに新しい気づきがありました。また、4歳の時に息子が苦戦していたことの「謎」がわかりました。
1時間は何秒?
ある時、
と息子に聞いてみました。
息子はしばらく考えてから、6000秒と答えました。
この本を読んでいなかったら私はきっと、順を追って説明することに意識を集中して、なぜ息子が「6000秒」と答えたのか?思いめぐらすこともしなかったと思います。
息子はおそらく次のように考えたのだと思います。
1分は60秒。
1分→10分ときたら、1時間=100分というイメージになり
60×100分だから6000秒
このように間違うのはわかる気がしました。
時間をかければ、1時間=60分だとわかっても、
「1時間は何秒?」という問いから答えにたどり着くには、
- 1分は60秒
- 1時間は60分
- 60分は60分×60秒=3600秒
と順を追って考える必要があり、階層が複数あるので難しいのだろうと思います。
特に2→3は、「1時間が60分」であることを頭に入れつつ、「1分は60秒」という別の定義を同時に考えないといけないため、垣根が高くなります。
この場合、子供なりに「1時間=100分だから、60秒×100=6000秒」と導き、部分的に正しいといえます。
これが、正しい認識にいたる途中経過にある、ということなんだと思います。
この時は、1時間=6000秒と答えた息子に、
じゃあ、10分は何秒かな?
と質問。息子は600秒と回答。
次に、20分は何秒かな?30分は?
と聞いたら、3600秒だとわかりました。
114の次は何?
息子が恐竜図鑑にはまっていた4歳のとき、不思議に思っていたことがありました。
今思えば、子供にとって24の次に25が来ることは「当たり前ではない」ことはわかりますが、当時の私はわかっていませんでした。
4歳の頃、恐竜への興味からカタカナは覚え始めていましたが、算数はまだ勉強していませんでした。
図鑑をじーっと眺めているので、自分で調べたい恐竜を見つけられるように、索引の使い方を教えました。
こんなことが毎晩続きました。
そのたびに、「115はここだよ」とページを探す手伝いをしていましたが、すごく不思議でした。
その時の私は理解できていませんでしたが、
4歳の息子にとって、110、111、112、113、114、115という順番を理解するのは難しいことでした。
一桁の「1、2、3」はわかっても、数字が3つ並んでいる3桁が「3桁」ということなんてわかるはずがありません。
今振り返れば、もっと察してあげられればよかったのですが、この本の6章を読んだ時にはっと思い出しました。
1度はできていた問題ができなくなる不思議
子供は、1度解けた問題を間違えることがありますよね?
本に「あるある!」と思った事例がありました。
本で紹介されていたのは、
子供に
7+9
を聞いたら正解。次に
70+90
を聞いても正解。さらに、
700+900
を聞いたら「1060」と回答。
おや?と思って、再び
70+90
を聞いたら、さっきはできたのにわからなくなってしまったという話。
全く同じではありませんが、息子でも同じような経験がありました。
こんな時、多くの人は
どうしてさっきできた問題すらも解けなくなってしまったの?
理解があやふやだから、間違えちゃうのね。
と思ってしまうのではないでしょうか?
少なくとも私は、心の中で焦ってしまうタイプです。
ところが、谷口さんは、1度はできていた問題が解けなくなっても、残念がる必要はまったくないと言います。
上記ケースでは、70+90と700+900というたし算には何らかの関係があることはわかっているので、まずこの点はまず◎。
700+900が解けないことで、70+90もわからなくなってしまっただけ。
大人でも、何の問題もなくわかったと思っていたことが、別の問題に出会って、理解があやふやになり、混乱することはありますよね。
上記のケースでは、混乱を経験することで、70+90、700+900に対してより理解が深まるともいえます。
逆に、700+900は1060と答えつつ、70+90は依然として160と答えられる場合、
テストでは「70+90」については「正解」になりますが、部分的な不理解、あいまいさは抱えていることになります。
親御さんによっては、
0が増えただけじゃない。
と突っ込みをいれてしまうかもしれません。
ですが、子供なりに、正しい認識に向かって、転んで立って、また転んで…を繰り返しているのだなと思った事例でした。
子供の「誤り」が楽しみになる
この本には予想外のお土産がありました。
先ほどの「1時間は何秒?」という問題に息子が間違えたときも、心の中でちょっと嬉しかったです。
私は自分の子供時代を振り返っても、当時どうして間違えたのか、どの問題を間違えたのかさえ、思い出すことはできません。
これに対し、自分の子供は今、現在進行中で混乱したり、戸惑ったり、正解に喜んだりしているのですよね。
それならば、子供が正しい認識にたどり着くまでの「旅」の途中を、時々助け舟を出しつつ、見守ってあげればいいんだなと思いました。
これは、子育ての「楽しみ」にもなります。
本の中に「自発的に学ぶことでしか学べないことが世の中にはたくさんある」という一文があります。
子供が歩く練習を始めるときに自分の意思で始めるように、学びも、強制されるのではなく、自分から学びたいと思うことで、理解が深まっていきます。
中学受験とか、将来のこととか、親にとってはどうしても焦ってしまう要素がありますが、
この本を読むと、一歩どころか50歩くらい下がって、静かに見守っていてあげようという気持ちになります。
本の最後は次のように締めくくられています。
善意から教え諭すようなものであっても、本人の思考を置き去りにして誤りを訂正するのは、次の認識に歩みを進めるための足場を、十分な大きさと強さに育てることができない。
誤りを見守ること。
それは考えることの価値と誤りのもつ可能性を十分に認め、それぞれの誤りの効果ある活かし方について考えを巡らせることである。(p134より引用/斜線は私が追加)
この本に出会うまで、時に子供の思考を置き去りにしていたことを反省しつつ、
今後は子供の思考を思いめぐらし、誤りを見守り、必要に応じて助け舟を出して行きたいと思えました。
とても素晴らしい本です。
子供の算数の間違いに寛容になれますので、ぜひ読んでみてください。
親も子もハッピーになる育児書でもありました。
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